雪の下に見る春、ふきのとう

菜の類は薹(とう)が立つ。 

冬を過ぎて春になると、いろいろな菜から薹をつける。 

中でも一番は「ふきのとう」だろう。 

名前から分かるとおり、ふき(蕗)の薹である。 

 

間違っても塔が建つのではない。 

子供はよく間違うが、大人が間違っていると恥ずかしい。 

 

 

ふきにも種類がある。 

細いもの、太いもの。 

当然、細いものには小さなふきのとうが、太いものには大きなふきのとうが出る。 

私の好みは、小さな、堅く締まったふきのとうで、開いて花が色づいたものはがさついて好きではない。 

そういったふきのとうはどこにあるかというと、雪の下にある。 

 

雪が消えてしまうと、花を開こうとするが、雪の下にあるうちは、当然開かない。 

まだ雪が残っていて、その雪をどかすと、重みに耐えていたふきのとうが出てくるのだ。 

それは、春がもうすぐそこまで来ていることを示す。 

雪国の待ち望んだ春の到来を予感させるものだから、それを見ることは喜びでもある。 

 

 

一番好きなのは蕗味噌だ。 

ふきのとうで作るが、ふきのとう味噌では長いからだろうか、蕗味噌という。 

ご飯に載せて食べると、ふきの香り、つまりは春の香りがする。 

 

苦味があるが、蕗味噌だけは子供の頃から好きだった。 

春を感じたからかもしれない。 

 

 

もうひとつ、春を感じるものに「つくし」(土筆)がある。 

つくしは、雪が消えて、本当に春めいてきた証となる。 

食べるところもあるが、私は食べない。 

食べ物だと思ったこともない。 

 

つくしは、スギナのいわば薹(胞子茎)である。 

スギナは雑草で、もちろん食べ物と感じるものではない。 

スギナにもつくしのように節があり、引き抜こうとしてもぶちぶちと切れる。 

刈り取るか、除草剤で枯らす類の嫌われモノなのだ。 

だからだろう、食べ物と認識していないのは。 

 

 

ふきのとうの親である蕗も好きだ。 

ちゃんとした食べ物である。 

しかし、きゃら蕗や蕗の煮物はさして好きではない。 

細い蕗の皮を剥き、油で炒め、きんぴらにする。 

それが好きなのだ。 

 

 

私には困った性質(たち)がある。 

食材での好き嫌いはほとんどない。 

昆虫は食べないし、雑草も食べない。 

後は大抵のものは食べるが、犬や猫も食べられない。 

人を食ったようなことを言うのは好きだが、人を食ったことはない。 

 

しかし、料理には好き嫌いがある。 

激しいかもしれない。 

蕗は油炒めのきんぴら、ふきのとうは蕗味噌であるべきだ、というものだ。 

 

他にも絶対的なものに、大好きな鮭がある。 

塩鮭(あるいは新引鮭、塩引き鮭)でなければいけない。 

塩引きは、新引きを干したようなものである。 

鮭のムニエルだの、鮭フライなどは嫌いだ。 

生鮭を美味いと思えず、塩鮭でも塩の弱いもの、塩をして間もないものは美味くないと感じる。 

ホイル包みやちゃんちゃん焼きならまだ食べられるが、西洋料理の鮭は好きではない。 

 

いや、こういうことは誰にでもあるだろう。 

この食材はこの料理が美味い、そういうものがあるはずだ。 

複数の料理が美味いものも沢山あるが、中にはひとつしかないと思うものがあるというだけである。 


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